プロフィール

sino(三原紫野)

ペンネームsino、本名は三原紫野(みはらしの)
東京生まれ。学習院大学文学部卒業後、サントリー株式会社入社。
宣伝部媒体担当として4年間勤務ののちフリーランスのイラストレーター。
イラストの仕事は高校時代から雑誌で始め、書籍、web、企業PR広告など多岐にわたる。
絵柄的に女性向け媒体が多め。

イラスト以外の主宰として
2018年より「谷根千」の住人視点マップガイド
Mon Yanaka」(モンヤナカ)
2019年より東京とパリスタッフによる情報発信コンテンツ
Atelier2s」(アトリエ ドゥエス)

sinopedia(シノペディア)

父は小説家、母は歴史研究家でもある教員の両親の元に育つ。
(父・三原誠の芥川賞候補作などは日本ペンクラブ電子文藝館に掲載)

小学生の頃から雑誌などへの「読者投稿」を始める。
投稿すると必ず掲載され図書券などをもらえることに味をしめ、以降常連となる。

小5の時に投稿の常連だった「朝日小学生新聞」の新年号企画として
手塚治虫氏との座談会に参加。
集まった5人の小学生を相手に

君たちには負けない

と言った手塚氏の言葉は生きた漫画の神様の強烈な印象を残した。

 

四谷大塚トップクラスに在籍するも中学受験で「全落ち」。
台東区の公立中学へ越境入学する。
のちの天海祐希氏も在学していたらしいが、
当時は「萩本欽一の出身校」としての認識しかなかった。
中学入学と同時に和泉流狂言・野村万作氏に師事
大学卒業まで小舞を習う。

高校は大学付属の女子校に入学し再び絵を描くことに熱中する。
漫画ではなくイラストを描くようになる。
高2の春、中学時代の友人が読者モデル希望で訪れたティーン誌編集部に付き添いで同席。
暇なので落書きをしているのを見た編集長から

イラストの仕事をしないか

と声をかけられ、そのまま隣の漫画誌編集部で打ち合わせ。
次号の読み物ページ挿絵でデビュー。16歳。

高校入学後は全く勉強せず、
授業中に原稿を描いては放課後に編集部に納品に行く
という生活だった。

成績が落ちすぎ大学への進学が危ぶまれるも
学習院大学文学部哲学科(西洋美術史専攻)に入学。
文系インドアのはずが、なぜか体育会水上スキー部に入部。
以後4年間、軍人のような体育会中心の大学生活を送ることとなる。

しかし「美術の専門教育を受けていない」というコンプレックスから
セツ・モード・セミナー夜間部にも入学。
体育会の部活後に美術学校という対極的な二足のわらじを履く。

どこにいても浮く

という諦めはこの時期に身につく。

大学卒業時に好きだったパリに初めて長期滞在。
パリ在住の友人知人から多くの刺激を受け、
1ヶ月ほどの滞在にも関わらず目からウロコの連続。
以後パリは何かにつけて訪れる場所となる。

  

大学卒業後はイラストの仕事をしつつサントリーに一般社員として入社。
宣伝部に配属、雑誌媒体を担当

ここでのイラストレーターとは真逆のクライアント立場での
発注」「タイアップ」「紙媒体の印刷
などの知識と経験は、現在もイラストの仕事に活かされている。

サントリーには4年間在籍。
退社の翌日に退職金を全てフランスフラン(当時)に換金し、
再びパリのアパルトマンで過ごす。

以後現在までフリーランス。
20代で結婚後、出産、離婚。
その後はシングルマザー、フリーランス、モラハラ、介護など
図らずも現在の社会問題を次々に先取り体験してしまい

「人生がダイハード」

と評される。

媒体掲載のイラストの仕事は
共同制作の一要素」で「自分だけの作品ではない」と認識している。

そのためイラストの役割をヒアリングした上で提案、
また、会社員時代の習慣もあり、最初に
お金や時間を含む発注内容の確認」をクリアにしてから一気に暴れたいタイプ。

絵を描くスピードは早い

発注内容が不明瞭な場合は何度も確認するので神経質と思われがちだが、とにかく
絵を描くこと以外を考えるのがものすごく面倒
なだけ。
絵を描くこと以外はできる限りシステマティックに処理したいと思っている。
(→ご発注の方はこちら

作画はアナログはペン、カラーインク、アクリルなど。
デジタルはフォトショップを使用。
基本的に紙と鉛筆があれば何時間でも過ごせる


おしまい(つづく)